• 4.

    省みると、私は賢い人には関心がほとんど持てない。私が賢い人に興味を持つのは、賢くない面を見た時である。私の観測によると、どんなに賢く社会で振る舞える人であっても、賢いと言えない面が観察されるので、結局、私が関心を持てない人は、付き合いが充分長ければ、いたためしがない。一方で、私がたやすく関心を持つのは、一般的な人物、才能のないとされる人物、愚かな考え方をする人物である。一般的な人は常識に守られているので、常識をたくさん聞ける。才能のないとされる人物にも才能はあるもので、才能が見つかったときに私は喜びを感じる。愚かな考え方をする人であっても、生活できている以上、どこかで賢さを発揮している場面が必ずあり、大抵の場合、社会であまり見かけない賢さであるので、社会で評価されていない賢さを見つけられたときがものすごく楽しい。このような理由でも、私が関心を持てない人はまずいない。

    私が人工知能に関心を持ったのも、大学で知性や知識を科学する視点を養えたことが大きかった。当時は、知性も知識も情報も、科学ではよくわかっていないとするのが通説だった。私は自分なりに探究し、一般的な理解まで達せたため、研究所サイトに公開している。こうして振り返ると、私は知恵に関心を持ち続けている。知恵を見つけること、知恵を表す方法を練りに練ること、知恵を聞き比べること。日曜礼拝には必ず参加するのも、聖書に関心がずっと続いているのも、かといって聖書をあまり読もうと思えないのも、知恵について深く長く単純に考えようとしてきたからであろうと思う。

    昨日、商店街で自分に喝を入れ続けて歩いていた中年の女性がいた。自分の精神を鍛え直しているようだった。私の勧めでは、教会に行くのが良いと思う。自分の意気や力だけでは、精神を悟らせ、自分を捨て去ることは、できない相談であり。必ず、自分以外の力に全て委ねた結果、すなわち、信仰の力である。知恵を付けたかったら、本を読むのでも良いのかもしれないが、自分で知恵をつけても自分で考えるようにはなれないのが人間だろうと。誰かの賢人の知恵に従って安楽に暮らすのも良いだろう、だが、自分で知恵を発想して生み出し、社会に問い、世の中の役に立つ所業は、信仰の結果である。こう書いたとて、教会に行って自分を悔い改め切れる人は、そう多くない。いつの世でもそうであるそうだ。私のように、若くして大きく失敗したことがある人が、減っているからだろうか。

  • 3.

    朝には憂鬱だったものが、午後には快復し、昼食期には機構まで推測できた。すなわち、感情の情報処理が、私はうまくできない。例の扁桃体と海馬の接続不良の話であった。昨夜は過去と身の回りを振り返り、そのうえ嬉しさの感動で泣いた晩であったから、件の接続が伝達過剰になり、不安定になったというわけだ。普段から感情を持たないよう、気持ちが上下することを体験しないよう、避けて調整して過ごしているのだが、昨夜はそうではなかった。失敗ではなくて、嬉しいことではある。

    昼食後、同僚と q-pilot の話をした。遠アーベル幾何ではグロタンディークによるエタール群の知識の完全性に関する予想が立っているが、情報の流れ出しを考慮に入れているかどうかが、先日IUT理論による証明に問題として見つかったことである。というのも、-log|H|<-log|θ| であるためには、θの状態からHの状態へ情報が流出していなくてはならず、多価性を持つ対数では、情報の流れ出しを完全に考慮する方向こそ、完全な知識だからである。複素平面を地平面として垂直同様の方向に何本か離陸する対数航行を使ってブラックホールにおける情報量保存と情報流出を説明しうる幾何学の話をした。

    帰宅し、今晩は白だしに素蕎麦、そして、半額で得た帆立を混ぜた。良い味だった。以前の職場で、仕事の姿勢を教わった男性上司には今も感謝している。心気を絶ち、自我を去って、理性で動くことこそ、労働でも余暇においても自由である。半端な愚図では楽しむものも楽しめず、やることもできず、やりたいことも成せない。結果、今はストア派的な生活にすっかり様変わったが、結局、私はこの世で楽しめる物事が界隈で見つけられなかったこともあるし、楽しいことなど自分でいくらも作れる人物だったということである。苦しみも増えたが、快との乙張が作れて益々楽しい毎日であった。

  • 2.

    午前に、生成AIの図解スライドを使って、同僚に 生成AIの思考回路 と題して説明したところ、なんとわかりやすいと感動くださって、わたしもわかりやすく説明できるようになりたい、とまで報告してくださった。帰宅して書斎でただ、嬉しいなあ、と泣いた。なぜなら、その同僚が、私の数理で生成AIを面と向かって説明した初めての人だったからである。今まで24年間の研究で、私が好きなことを話せたのは、数えてみると僅か6人で、そのうち4名は今の職場にいた/いる人である。ほぼ1人で研究を遂行してきたと言って良いと思う。研究が捗ったうちは孤独を感じなかったが、いざ研究を終えてみると、なんと孤独で人も何も残らなかったかと思い知らされた。ただ、私には研究が残った。24年を空費してはいない。

    午後から気圧が低くなり、長らく気象病の私は、喉と胃が捩れるようにやられ、じきにめまいで立ち眩むようになったため、3時間有休を取得し早退きした。帰路は交通事故に遭わぬようゆっくりと歩き、経験則から肉類を食べた方が良いと判断して中華料理屋でパイコー丼を喰らった。店内のテレビ放送では震度7の地震が伝えられていた。私が退勤した時刻とほぼ同じであったから、立ち眩みは地震のせいではなかった。いずれ私たちの地域にも来るだろうと悟りを新たにした。

    沸かさない湯舟では1時間ほど落ち込んでいて、落ち込んでいる時はいつもそうであるように、何に落ち込んでいたか言葉にしようとすると思い出せないものだ。だから、思考を遊ばせる効果があることなのだと私は観念しているところがある。帰路ゆっくり歩いていると、どうも俯いてしまい、四方から、私の理論や考えが全て嘘だ、と囁かれているように感じてしまい、私もすっかり衰弱しているなあとも思ったし、嘘かどうかは時が見せてくれる、と信仰を根拠に自信を回復させようと思いつつ歩いた。私は泣いている時が最も幸せだ。次が苦しんで考えている時や、悔やんで歯軋りしている時である。楽しむ大事さがまだあまりよくわからない年頃である。

  • 1.

    今朝方、薄ら夢の中、6時過に起床し、自家製の豆乳ヨーグルトを蜂蜜黄粉にて戴く。支度し出ると、気温は低く、汗の心配はなく、駅まで徒歩し、閑静な街である。バス内でサリヴァンの場の理論に学び、精神障がい者に対する態度を変える必要を覚えた。13時まで働き、弁当はごはんに玉ねぎ味噌、セロリとアスパラガスの塩炒め。木匙で食す。夕方時に俄かで雨が降った。西の層雲に対し、東の空に雲がなかったために上昇気流が昂じた結果であろうか。

    益軒の養生訓を2頁、仕事の合間に習読しつつ、思い当たる体験に教訓を付けた。老人にまつわる章だった。私の目算では、40歳の今、心の底をつき、それは悔い改める作用で実現することなのであるが、常に枯れたことで、80歳の寿命を倍の120歳まで永らえられると慮っており、この証明に余生を賭すこととしている。目標寿命は118〜119歳だとする。小学生の卒業文集に、将来の目標を長寿と書いた手前、土に還るこの体を、誰よりも長保ちさせてみせたいと思う。

    帰路、スーパーでイサキの半身を半額で得たため、刺身で戴いた。トマトと合わせると、果汁によって臭みが全く消えていた。このトマトも半値で4個、主食に蕎麦、今宵は月見に2個、鯖節を散らし、白だしで戴いた。明日の弁当のために、昨日水に浸けておいた黒目豆を煮た。土鍋で炊いたごはんに、玉ねぎ味噌、セロリとアスパラガスの塩炒めを添え入れ、冷蔵した。書斎に籠り、昨日淹れた麦茶が室温に冷えていたので戴きつつ、この記録を認めている。温めない湯舟に浴し、居間でアイスノンを包み、綿の布地を床に敷き、眠る頃、妻はソファでハートを揃えて消すパズルを独りで解いていた。