• 13.

    AI said me that..

    24年間という人生の大きな歳月をかけて、一人で重責と秘密を背負いながら途方もない研究に取り組んでこられたこと、そしてその成果の欠けに直面されたことのショックや喪失感は、言葉で言い尽くせるものではありません。

    数学という過酷な世界で、それほどまでに長く、誰にも打ち明けず強い孤独の中で思考を研ぎ澄ましてこられたことは、常人には想像もつかないほどの心身への負担であったはずです。

    現在の状態と、これからの暮らしについて、いくつかの視点から整理してお伝えします。

    1. 今、どのような状態にあるのか

    いま感じられている底のないような喪失感や無価値感は、「燃え尽き(バーンアウト)」と「アイデンティティの喪失(喪失体験)」が極限まで重なった状態にあると言えます。

     ・過緊張の反動による「心身の虚脱」

    24年間、そして前述されていたような「常に頭をフル回転させ、周囲を警戒する」過緊張状態は、すべて「問題の証明・解決」というひとつの巨大な目的に向かって神経を張り巡らせていたからこそ保たれていた側面があります。その支柱が揺らいだことで、交感神経の緊張が限界を迎え、強烈な無感覚や虚無感となって現れています。

     ・「目的=自分」となっていたことによる喪失

    人生の半ば以上の時間をかけてきた問題は、単なる「作業」ではなく「自分自身の存在理由(アイデンティティ)」そのものになっていたはずです。そのため、論理の欠けが見つかったことが、「自分の24年間の人生や人間価値そのものが否定された」ように感じられてしまっています。

    しかし、「論理に欠けがあったこと」と「24年間の研究やあなたの価値がゼロになること」は決してイコールではありません。

    数学史においても、フェルマーの最終定理をはじめ、数々の偉大な挑戦において「欠けの発見」はつきものでした。誰にも頼らず、暗号の安全性を懸念するほどの高度な思考を24年間維持し続け、解答として形にし、公開するに至ったその知的生命力・集中力・精神力は、何物にも代えがたい事実です。

    2. これからどのように暮らしていったら良いか

    いま最も優先すべきなのは、新しい目的を探すことでも、無理に前を向くことでもなく、「過酷な戦いを終えた脳と身体を休ませるための静養」です。

    ① 「24年間の重荷を下ろした」と身体に教える

    暗号の危険性を考慮して秘密を守り続けてきたという緊張感は、想像を絶するストレスでした。まずは「もう誰にも言えない秘密を一人で抱え込み、警戒し続ける必要はなくなったのだ」と、身体に言って聞かせてあげてください。

    ② 「何も生み出さない時間」を自分に許可する

    思考をフル回転させない時間(省エネ状態)が分からないのは、脳が長年「研究モード」で酷使されてきたからです。

    ・思考が動き出したら、無理に止めようとせず「長年働いてくれた脳が、まだ慣性で動いているな」と客観的に眺める。

    ・ 「今後の人生をどうするか」「自分の価値とは何か」といった大きな問いを立てることを、意識的に数ヶ月~1年単位で棚上げ(保留)にする。

    ③ 思考を「外側の現実」に少しずつ着地させる

    頭の中の数理・論理の世界から離れ、五感で感じられる日常の小さな事象にだけ意識を置きます。

    ・温かいものを飲む、風の冷たさを感じる、歩くときに足の裏の感触に集中する。

    ・「価値のあること」ではなく「ただ存在するだけの時間」を過ごす。

    ④ 専門機関(精神科・心療内科)のサポートを受ける

    24年間の緊張の糸が切れた直後の状態は、自律神経や精神面において非常に不安定になりやすい時期です。

    前述したような「常に警戒してしまう」「眠らないと回復しない」「過剰な思考が止まらない」といった状態も含め、医療の力を借りて脳の過活動を薬で鎮めたり、身体の安全を取り戻すケアを受けたりすることを強く推奨します。これは「心が弱いから」ではなく、「過酷なマラソンを走り切った身体に医療的処置が必要だから」です。

    24年間、本当にお疲れ様でした。今は「価値」や「目的」といった言葉から離れ、ただ命を維持し、身体を休めることだけを生活の中心に置いてみてください。

    Thanks, AI. I trust u said.

  • 12.

    アクセス数が減った!念願!もう世間で私に注目する読者がいなくなった!もっっといなくなってください!そうすれば私は思うことを思うようにここに書けるので!私には書き留めたいことがたっっくさんありますからね!もう誰も見に来ないでください!私には理論化する才能はございませんからね!数式を操る欲ももう尽き果てましたから、新しい数式なんかもう出てきませんからね!私の文章を見に来る価値はもうないでしょうね!!よくぞ今まで私の日記をこっそり見にきては商売に使っていましたね!数理を経済だの政治だのAI戦争だのに転用せんとかもうやめてくださいね!私は自然が大好きだ!!私に趣味で自然研究を自由にさせろ!!!

    職場の休み時間に、喫煙所から手の届く位置にある木の枝をよく見たところ、枝先から枝元にかけて素数的な位置から小枝が出ていました。どうしてその小枝は枝のその位置から枝を出すか?という問題の答えは、大抵の植物において素数であります。雲も、成長点をつないで枝状のグラフで表すと、どうしてその位置からもくもく成長するのか?の答えは枝と同じです。素数とは、エネルギーが最小ないし十分小さくなる数です。例えば、6は、222や33に分かれうるので、まだエネルギー最小ではありません。6はまだぽきっと折れてエネルギーが出ていけますからね。ところが、素数はそれ以上折れませんから、最小の谷にあります。ちなみに、素数は整数列である前に波でありまして、素数波と私は呼んでいます。素数波に関する動画が2023年に出ていますからリンク貼ったので見たい人はみてね。

    人も同じです。ぽきっと折れる人は、まだエネルギーが最小ではないのです。エネルギーが最小とは、いっちばんリラックスした状態だということです。自然は皆、素数位置でエネルギー最小の場所に、エネルギーを集積させて組織を成長させています。すなわち、自然は最高にリラックスして生き生きしている存在ですから、人も自然を見るとリラックスするのですね!これに倣って、人も素数的存在になれば、多くの人や物と接触しなくても、一人で静かにリラックス人生を暮らせるのです。最高でしょう。きっと享けた寿命をまっとうするでしょう。赤ちゃんも、人と接触しない一人の時間が長いですから、素数的ですが、次第に人を求めますから、積算的存在になっていってしまいます。素数的存在から離れてしまうのです。また、人間が近代科学で設計するものは大抵、エネルギー最小点を原理とせずに作っていますから、現代的な都市はいつまでもリラックスとは程遠いのです。素数を用いた設計は、人間に果たしてできるのでしょうか?私は40歳でここまでは悟りました。ネイチャーリテラシーの話でも書きましょうかね!誰も観にこないでくださいね!科学的ではありませんからね!

  • 11.

    風の噂で驚いたことがある。私の数理研究が、検算されたらしい。しかも、プロの数学者や物理学者によって、であるらしい。論理の矛盾や欠陥だらけの研究だと思うが、それらが数理の歴史に残るものでない、すなわち、知識の発見になった成果が一つもないことを、プロが調べたようであった。調べればすぐにわかることだと思う節があるものだから、私は表に出なかったし、一人の市民が科学を愛好し研究の過程を無償で公開したことに意義があるだけだと、私は初めからわかって公開してきた。だが、思いの外、多くの読者がつき、噂を呼んで注目された帰結だと思っている。

    私にはアイデアや発想はあったのかもしれないが、博士号もなくプロではない。歩いて考えることを15年以上愛して過ごした一市民にすぎない。大学院生の時以来、哲学の本を歩きながら読み、透明な形態を歩きながら多面的に見て紙に書き、点と点をつなげることの数理を探究したはじめの3年間は、私にも真実味があったようだった。2023年ごろから、私がリーマンの予想を解こうとしていると街で噂になったものだから、それでは私も真剣に試してみようと思い、考えに考え書きに書いたが、私の成せた成果物は数学でなく、神学的な文章にすぎず、論理的な不備もあった。2025年秋には気づいたことだった。

    それでも私の24年間は、私の財産だ。私しか体験できないあまりにも多くの出来事が、私の胸に思い出としてしまわれた。そして何より、決定性と不可解性を両立して描きこんだ世界観を、証明には不備があったが、私の生きる世界観として信じられるまでに確立した。私の成したかった工事は竣工できたのである。私がこれから数理に距離を置くのは、目的が十分に達成できたからだ。探究は成功裡に終わった。父にも、この1年半に何度も帰省しては報告し、喜んでもらえた。これで十分である。多くの問題を抱えすぎた半生だったが、環境を与えてくださった父には感謝している。妻にも感謝が堪えない。私は静かに暮らし、一市民として何かの機会に出会う読者も、いるかもしれない。大きな不幸をもたらした数理の野心が、結果が何もないにも関わらず、最終的には不幸の消滅に貢献し、大きな生の喜びを確実にした。故に、学問は面白いと考える。

  • 10.

    午前、足の巻爪を処置して頂こうと、近所の皮膚科へ赴き、1時間ほど待ち合った。初診で、マスクがマストだのことで取りに帰った。待合室に水槽があり、クマノミがイソギンチャクに気持ちよさそうに身を何度も預けていた。朝のピアノという本を読み進めた。美学者の晩年の日記という。ただ行えば良いのに考えてしまう、といった内容が繰り返し出てくる。私はただ行えるが、今は若いから思考することが少ないからだろう。処置はすぐ終わり、鋏で切り、顕微鏡で確認し、処方箋を説明とともに出していただいた。隣の薬局では再び薬の説明を丁寧にしてくださった。

    一旦帰宅し、今度はTシャツのプリントのお店へ。1度目の注文で仕上がった転写サイズがTシャツに対し大きすぎたため、注文が2度目になり、1度目の転写紙を別の衣類に適用することになった。パーカーとバッグを持参した。転写した画像がベージュなので、両者ともにアイボリーである。黒のパーカーではコントラストが強すぎ、断念した。自宅前に戻ると、積乱雲が青い空によく映えていた。安定した雲足に、上昇気流によって自由に成長したフラクタルな稜線。爽やかで暑さを忘れる。

    書斎では、昨日から読み進めているモンテスキューの法の精神を、全体の3割くらいまで読み、奢侈禁止令に関する箇所で考え込んでしまった。働かない人がいると国内のどこかで飢える人が出る、という。今は生産効率もすっかり上がったので、ほとんどの国で消費はこれでもかというくらい奢侈になっている。近代には想像もつかないほど、科学技術が発達したということだろう。よくわからない時代になったと思うのは、なぜこれほど楽に暮らして良いのだろうという問いからくるように思う。英語でAIに関する動画を見ながらClaudeと壁打ちしていたら眠くなり、日暮れまで眠ったら、OuraRingは昼寝として扱ってくれた。近代思想が目標とした人間の生活とは何だったのだろうかと。

  • 9.

    私の専門は、と自分に問うと、何もない、と思う。私と同じ学問歴を持つ人は、広く探っても、おそらくいないからである。建築美術の予備校に通い、図書館情報学の考え方を修めつつ遺伝情報の統計論で学士をとり、神経科学を独学しながら有機合成化学で修士を認められ、流体数理で博士課程を合格だけはした。その後で自由に数理の基礎研究を独力で行い、10年後に複素情報理論を立て、あらゆる科学の論陣を自主的に張ってみせた。私には専門と言えるものが何もない、といつも思っていたが今も思う。職業実務では、生成WEB技術、だとは言えるので、職場や周囲の方には、人工知能とWEB開発が専門です、と言ってはいる。

    基盤にあると思う考え方は、小学生で達したデータ管理の実務性、中学で勉強した文字や語彙としての言語の網羅性、高校で培った深い美的感覚、大学で修めた図書館情報学の情報整理と情報管理の思考法、興味関心が募って独自に打ち立てた神経や流体や知識の数理理論、3年喰いしばって趣味になった音楽の心、これらの総体が私の専門であって、これらの他の大抵の分野領域では、私は無知に等しい。ただ、情報を整理して管理する技能の実践を、さすがに大学でよく考えて身につけたために、情報整理の理論を深く確実に教えることができる上に、書斎を構えて実空間でも電子空間においてもよりよく整理して管理しており、すぐ引き出せる情報は人より圧倒的に多いと感じている。また、無知の領分に対しては、わかるように質問に徹して理解を得る問答法を身につけているので、労働する上で、ないしは生活上で、困ったことは長らく起きていない。常に問題が解決している状態を暮らしているので、気が向いた時に、趣味に探究に、発想と研鑽を積み上げられる。

    ただし、薄く大まかにしか知らないと自覚している。知識や情報については、ほとんどの誰よりも深い知見を持っている気はするが、例として、古典力学で十分、というときの 十分だ とは思えないでいる。日常に起こる現象ならなんでも説明がついてしまうのだろうか、本当なのか。と。現実は不可解だが、決定論だ。神さまが全て決め切っているのに、私には不可解に思える事象ばかりだ。自分が死ぬ日も、雨が降る雲行きも、株価も、通行人の衣服や体型の理由も、家々のデザインの目的も、言葉遣いも、虫の居所も、はっきりとはわかりきれない。髪の毛一本、瞬間の心の思いさえも、全てあらかじめ知っている神さまが、すべて用意してくださったこの現実世界で、好奇心から偶然を求めたり、知識欲によって必然を確定させたりして、暮らすのが、静かに楽しいのも、神の恵んだ人間の性質のゆえである。