このドメインで部録を閉じてから2ヶ月が経った。だが、サーバのデータによれば、まだ毎日のようにアクセスがある。その閉じた部録はたった2ヶ月の公開だったが、計4千人の読者がつき、ページビューは延べ10万に達した。これを私は、まだ読み足りない読者がいると解釈することにした。そこで、趣旨は変えるが、私の生活について書くことにしようと思う。推しがいるとして、その感謝の気持ちからである。
何を書くかと考え、私の専門は何かと問うた。数学はアマチュアだ。物理は専攻できなかった落第者にすぎない。文学はゆっくり味わう人なのでそう記事にできない。そこで、私は考えた。生活科学が私の専門だ、と言い張ることにしようと。確かに高校生のころから今に至るまで、関心を持ち続けている領域を一言で表せば「生活」になる。そして、生活について科学するなら、需要が高そうな内容になるだろうと。
生活に関心があるなら、生活にしか関心がない、とは言えない。なぜなら、あらゆることに関心がある、という意味になるからである。それで、福澤諭吉が述べたように、人の上に浮くような贅沢も、人の下を這うような窮乏も、生活に関心が足りない人が営む生活にすぎない。このあわいをなだらかに安定して暮らすには、生活を学問するのが良いと思われる。生活にまつわる変数の変化を、常に操縦できるからである。
この書き物は自由に複製していただいて構わない。動画にしたり商業出版したり、生活に取り入れていただけることで目的は達せられる。この文言は私の書き物の常套句になっているが、私にはやはりどうにも出版するつもりが決まらない。メディアが怖く、有名になることを恐れてしまう。性格的なこともあるし、半生を慎重に過ごしたために慣れてしまった。私の読者はもう聞き飽きたろうが、満足してくださることと思い筆を執る。
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