最近、私の住んでいる街に、恋人や夫婦で水入らずのうちに歩いている光景をよく見かける。おそらく、景気が悪くないから、というのは大きな要因だと思われるが、単純に、文明が飽和せんとするほどだということが背景にあろう。つまり、一人で過ごすのも良いが、ずっと一人でいるより二人で暮らす方が無論良いとのことだろう。これはコヘレト4:9-12にある。
私たち夫妻は、日本の一般的な夫婦からは、やや外れている。昭和的な団欒はないが、平成的な不和はなく、令和的な多様な夫婦の中に回収できる一夫妻ではあろう。特徴は端的に、互いに何も束縛しない点に表れている。普段少しも一緒に過ごさないのである。帰宅出発や就寝起床の挨拶はする。それで十分という気がすごくする仲なのである。
そもそも妻はキリスト者で勤勉家であり、精神的にも経済的にも完全に独立した方だ。私が遅れて独立できたのも、妻が先に完全独立した人間だったからだ。結婚前からそうであったから、私は妻の生き方に多くを教わった。そういうわけで私は、私個人の少なめの収入を好きに管理でき、妻は趣味で自炊しないので、私は冷蔵庫と台所を自由に使え、毎日満足の域を出ないのだ。
結婚は一緒に暮らすことでもない。別に暮らしているからといって別れなくてはならないのでもない。互いの気持ちが少しも変わらないなら、むしろ最も快適な結婚生活になる。妻も私も熱中没頭する趣味がある。各々で経済的に自立している。子供や車を持たないことや、住居に関し意見が一致しているため、諍いが起こらない。私はただ気持ち良い生活がしたかった。妻と結婚し、全てが叶った。思っていた天井を遥かに超えてきた。
コメントを残す