#13

私は経済規模が極めて小さい人間で、妻からはすっかり頼られていない。この小規模さは私が心で望んだことであり、育ちから言っても自然な成り行きで、両親もよく理解している。できるだけ資源の使用量を少なく抑え、知人の数も少なくし、お世話になる関係先も少なくして自分を知られないように生きたい、と高校生の頃にはすでに固く決めていた。それだから、そう難しい高収入の職に就かずに済んだし、贅沢で感覚を肥やさずにも済んだし、多くの人脈に時間を取られずにも済んだ。これは人生の成功だと考えている。

お金持ちになりたい気持ちは、経済規模を大きくしたいという欲望だが、この軌道に乗って暮らすことは難しくない。成人前に早くから希望していれば、勉強に励んで就活でよく研究し、徳を積んでいれば昇進もするだろう。独立して仕事を作り広げることも、大学等で専門性を高く磨けば難しい話ではない。しかし、日本の人でそのような暮らしを望む人は今や多くない。むしろ、私と同じように、経済規模を小さく抑えて暮らしたい人の方が多いような気がする。

人生経験上、貧しい時代の方が幸せだった、という話を先輩にすると、否定する人を見たことがない。経済規模はほどほどかやや小さいくらい、不自由しないくらいが幸せというものだ。借金を持ったり、狙われるほど積み上げて守ったり、隠し通そうとするだけで、大きな負担になる。おそらく、これは日本が現代になって見つけた経済の真実である。皆、富を求めて働くと思われがちだが、本当はほどほどの暮らしを続けるために働くのだ。

米中経済大国に日本が買われている。日本政府が対策を打っても、米中はどんどん買って持つだろう。それほど価値があると評価を受けている日本である。だが、米国人は太り切っているし、中国人は美しくもない格好言動をとっている。日本はそうでない。日本は生活を何より大事にする。それを買いに来る外国人は知らない。なぜなら、米中人が買うものは、日本人が買わないでいるものなのだ。日本人はもっと別のものを買って暮らしているが、米中人は眼中にも入っていないように見える。

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