#15

姿勢が生活を表す、というのは真実で、日本語では姿勢が態度に似た意味を持つ。歩く姿勢、座る姿勢、眠る姿勢。佇まいや居住まいという言葉もある日本は、それだけ姿勢が人を表すことを昔から知っていたのである。米中よりも日本が生活満足度を高める製品開発が得意なのも、日本が生活中心に回っているためで、個人中心でも国家中心でもない点が、米中と異なる特筆点だろうと思う。生活は個人で営むものでないし、国家に全て握られるものでもないからだ。

私は姿勢の悪い子供だった。卒業式の練習で体育館に並んだ椅子に座っていて、全校で一人だけ、姿勢を注意された記憶がある。正しい姿勢を学ぶに時間がかかるたちで、最近ようやく歩き方が身についた。しかしまだ、座位が苦手で、リクライニングチェアには倚りかかってしまい、凭れると楽になるどころか苦しむとわかっているのに、背を持たせてしまい、姿勢が悪くなる。背面を付けないと疲れてしまうが、それが座位特有の疲労感なのだろうと観念した。

病のほとんどが姿勢を正すと整うというのも真実味がある。昭和男性が、休日にテレビを視聴しながら横になるという画があったが、あの姿勢をせめて平成的なカフェチェアに替えるだけでも、腹回りが収まるだけでなく、気性や心根が改善し、行動的になるだろう。これでさらに行動的になるので、病から離れる一方、改善する一方である。つまり、茶道や武道の所作のように、行動しやすい姿勢がある。その姿勢が生活に馴染んでいれば、身体を動かすので、病から離れられるのである。

自然な姿勢を取りたいと思う一方、脚を組んでしまったり、頬杖をついてしまうのは、その原因のほとんどが、古にはなかったことをしているからである。文を打つ、動画を視聴する、眠いのに本を読む。そんなことは現代人特有の習慣である。行動中心の身体生活にとって不自然なのである。情報を取り過ぎて脳に支配されていることもある。身体の方が脳より圧倒的に賢い。脳は愚かである。そうでも思っておかないと、身体が最適化の犠牲になりがちになる。身体は脳を軽蔑している。脳が不自然さを作り出す。姿勢を正して初めて気づいた真理である。

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