#18

読ませる文体というものについて考えていた。というのも、私の文章の読者は、どうやらそう多くはないのだが、一度読んだら取り憑いたようにずっと読んでくださるようだからである。アクセス解析で、ユニークユーザー数に対し、閲覧数が100倍ほどあるのである。私の文章は一度読んだら惹きつける文体を持っているらしく、また、読んだ後に思考や文章などを残させる、すなわち言葉を起こす文章であるらしい。それだけ何か掘り起こす、呼び起こす内容を持っているということだろう。

私は研究所を主宰しており、公式部録を持っている。2012年の冬ごろ、本格的につけ始めた。すると、株価が上り調子になった。書き終えると上昇はやめ、安定した。また、2025年に再開し、4月に経済の記事を書き始めると、この10月末まで、日本株をはじめ上昇の一本調子だった。試しに私は11月に入って数日間、書くのをやめてみた。すると、上昇の調子から一転、下落に転じた。市場に生成知能への不信感や暴落の警戒感が語られたらしい。つまり、私の文章は科学への信頼や安心を与える内容であるらしい。

私はまた書き始めようと思う。書く内容には尽きないからだ。思考する材料も尽きない。質が落ちることも考えにくい。ただ、この部録には生活一般について書いているので、ほとんどの人にとって知っている話である。誰もが生活しているからである。生活しているのに生活の科学について読んでも、教えられている以外の感想を持たないだろうから、教わらなくても生活くらいしているよという感想になるだろうからである。むしろ、私とは異なる仕方で存分に楽しんで暮らしている人など、私が見積らなくても多く居る。立派に暮らしている人々も同様である。

私はここに書くことを練ろうと思う。生活のひずみをなくすことを目的に書こうという方針は変わらない。何か悩みがあって、それをほぐしたり、光を当て変えたり、深めるために耕すような内容になったらいいと思い書いていく。世の中は単一の価値観で動いているように見えがちだが、人は単一の尺度で測れない。これをよく理解していれば、自分を単一の尺度で測ることもしない。それで思うだけ自由に暮らせるのである。おそらくこれがゆがみがなくなった生活の実相である。一人でも悠々自適に暮らせる知恵を、これからもこの部録に綴っていく。

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