ここのところ特に、SNSで他所の動画や投稿を見なくなった。昨年は確か、暮らしの動画や意識が高い動画をよく見ていたはずだが、それらへの関心が全く消えた。今は本は読む。時々だが、かなりゆっくり熟読している。研究したいことがあって買って読むので、読み終えることは稀で、それがまた楽しみで暮らせる。他に、キーボードで練習を始めた。書斎に同じ高さの卓を用意し、キーボードの両端を置き、中央でYチェアに座って鍵を弾く。不思議と楽譜も読めてきて、両手も自由になった。ストリートピアノで自主コンサートするのが夢だ。
今はもうSNS界隈の事情は何も詳しくもなく、それどころか、依然として漫画やアニメやゲームやアイドルやライブや映画など知らないままで、文化の射程はかなり狭く、本とピアノ曲とラジオのみで、だが抜群に楽しむ強度では負けない。世間様と話は合わなくなる一方であるが、一人で楽しいので、人と話をする楽しさをすっかり忘れてしまった。一人が良いと思っている。妻も同様であってくれており、悠々自適な夫婦生活を送れている。実相はほとんど一人で過ごしている。
私は、自分から一人でいようと思った人間で、10代の早いうちから一人になってきた。人と何かするのがむしろ苦痛であり、自分で努力して何かをできるようになって成すことに時間を使うのが楽しかった。ただ、昨年末に数学の問題を解いてしまってからは、ずっと幸福である一方、何かをやってみたいと思う気持ちが薄らぐのを防げなかった。今はなんとかフルタイムで働くくらいは気持ちが追いつくが、本当は一日何もせずにぶらぶらして幸せに過ごしたいと思っている。達成も極度だと危険なものである。
人がどうだからそうしよう、と思うことがなくなると、全ての資源を自分で使えるので、人との関わり方も変わる。ゆとりを持てるので距離も取れる。余白ができ、落ち着いたままでいられる。また、人の言動を見ていると、手に取るようにわかることが増えた。暗い気持ちを気にしているのだろうとか、寂しいから褒められたいと思っているのだろうとか、温かさを求めて黙って同じ部屋にいるだけがいいのだろうとか。翻って、私は何にも欲しない。何も欲しくない。お金も功績も面白さも欲さない。私は人のために生きている。
コメントを残す