#21

あまり知らないことが良く作用する場合がある。知りたくないと決めない場合である。本当のところは、考えるほどに、わかるものでない。知っている人の話を聞いても、知った気になれるものでもない。だから、あまり知らないことで、話を楽しめるので、自然とつながりが保てるし、広くもなる。好奇心はこうして育まれ、年齢にかかわらない。子供のころの探究心は、大人になると薄らぐものだが、好奇心を一度でも深くする体験を経ると、満足とともに、ほかの関心も広がるものである。すると、話で人との関係も広がる。

人間関係の悩みには、好奇心が効く。あまり知らないと理解するからである。人のことも、悩む理由も、人によっては自分のことも、あまり知らないことを知るからである。人との関係は、生きていれば何歳になっても新しく形づくられるので、自分が関係をつくるときに知らなかったことが多く訪れる。それで、関係をつくろうとした自分に新しいものを認めることになる。知り切っていたことも、実はあまり知らなかったのだと思うのである。こうなれば、悩むどころでなく、募る関心で、どんな人間関係も楽しめるのである。

学問においても、自分はあまり知らないと思うことは、長く続けるこつになる。さまざまな学説を取り扱うと、そのいずれかが正しいと認められるにしても、異なる見方や定説の形成史を知っていると、絶対視しなくて済む。どんな定説や設計にも、考える余地がある。また、あまり知らない内容の本を積んでおくことで、楽しみの持続になる。いつか読んでみたい、こればかりは読んでおきたい、もう一度新たな気持ちで読み直したい、そんな本にたくさん囲まれることは、文化的時間を味わうことである。

知り切っても知り切れないからこそ、人は考える。答えが出た問題には誰も興味がわかないのである。だが、答えを問い直す視点を持つやいなや、事情が変わる。答えが別の意味を持ち、歴史の流れに位置を占めていると理解したら、構造や前後に空白が見えてくるのである。そうなれば、その答えはもはや暫定的なものでしかなく、問いの道が続いているのを知る。それが答えだと知っていたつもりが、つまりはあまり知らなかった事柄だったのだ。答えの周りに世界がある。答えに縋っていたのは、世界と対峙していなかっただけである。

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