#26

舌や喉が何か欲した時は、何を欲しているかよく感じ極めて、それに対応するものだけ取るようにしている。大抵の場合、水分か糖分か塩分で済む。応用として、酸味や渋味や苦味をあえて取ることもする。目的は、食べる量を最少に抑えることだ。お蔭で、腰回りは細く括れており、肢体は細身のスラックスでも皺が寄る。余計に食べないので、疲労も蓄積しないうえ、過剰な依存も全く起きない。

お腹を凹ませて歩いている。立つ時もそうしている。腹筋の使い道が、座り仕事のためにあまりなくなってしまったから、立位歩行の姿勢保持のために使うことにした。使わなければ弛むだけだからだ。使わないのに食べてはますます肥えるから、せめてあまり使わないなら食べ方で減らそうと思いついたのである。

食べられるためには、農業の安定、心身の健啖、歯と胃と腸が機能すること、小売店での調達、時間を作って調理することなど、幾つもの条件が揃ってのことだ。奇跡的だと思って良い。ゆえに、外食に1食千円は決して高くない。食べられなくなれば病と死が近いのだから、できるだけ食べないことは一見傲慢な生き方に思える。ところが、自分が今食べない分、他の人に食料を譲っているし、未来の自分に血肉を以て投資しているのだし、明日の労働活動のためなのだから、とても傲慢ではない。むしろ、少食は謙虚な食事である。

中年になって、腹回りは私も緩んだ。不思議と腹筋が見えなくなってしまった。内臓に脂肪も標準値よりついてきた。だが、スタミナとは身体に溜め込んだエネルギーであろう、これは内臓周りの脂肪であろう。昨年体脂肪率が1桁だった時よりも、今は仕事の持久力がついていて、8時間職場で労働してもへばらない。食べて、しかも使わず、溜め込んだからだ。運動しすぎるのも、食べ過ぎるのと同様に考えものである。

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