ありがたいことに、私には人が絶えない。多くは女性である。年齢は色々で、長く続く方も少なくない。かっこいいと言われることもあるが、自分には余りあると思う一方、理由は単純な心がけのせいだとわかってもいる。と恥ずかしい話になるが、今回は他意なく書こうと思う。断っておくが、私はつむじはげが広がりつつある40歳の中年男にすぎない人間である。
その単純な理由とは、人のしないことだけをしよう、とずっと考えてやってきた、ということである。考えの水準だけでなく、行動のあらゆる面においてである。例えば、割引品で生活する「割活:わりかつ」をもう1年以上やっている。割引になるのだから、買う人がいない。つまり、割引品を使う人は珍しいのである。割引野菜を食べる人は少ないのだから、そうやってできた身体や体調は自然と珍しくなる。
また、衣食住知足の中で、衣服についても、私はもう1年以上服を買っていない。昨秋、半額品を5年分は買い貯めたからである。コットン100%の肌着や白Tやニットやパンツを買い、それらを愛用している。肌に優しく、寒暖差も過ごしやすく、洗濯にも強い。綿に勝る繊維はないと思うのだが、そう知っている男性はあまり多くない。化繊のせいで敏感肌用の化粧水を買い溜める人もまだいらっしゃるようである。
私は自分の思うように行動する人だ。もちろん自分の範囲を超えない分別はある。思うことを形にでき、言葉に記録でき、無いものを必要に従って作り出せる。例えば「衣食住知足」という言葉を作り出して使ってしまえる。足は移動すること、私には歩くことである。歩くのが大好きで、どんどん行ってしまえる。人のやらないこと、誰も考えなかったこと、世界で作られていないこと。ただ珍しいことを形にする習慣があるため、私にかっこいいという言葉が投げかけられるだけであると考えている。これからは年齢の割に節度を持ち、言動を慎んで生きようと最近考えている。
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