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今回は生活の楽しみ方という話になるだろう。といっても、読者はすでに生活を大いに楽しんでいる方ばかりだと思う。その話ではなくて、今回は、不安を悉く免れた生活にする方法である。簡単である。学問することを勧めたいのである。学問は大学生の時にしかできない活動、ではない。社会人になってからこそ、本格的に学問できる。私は10代の頃からそう考えており、大学では薄く広く講座があって、かつ深めたい分野を専攻できる学部にした。はなから大学で終えるつもりはなかった。

学問は今や、新しい知見を生めなければ役に立たない、などと思われがちであり、人に伝わらない研究は無意味である、と見做されがちである。というのは、多くの人にとってその学問は疎遠だからだ。知識が膨大な量になり過ぎて、アクセスされず存在が認知されにくくなった。生成知能で補完できるとしても、有名な受賞によって初めて、何十年も前に成果が出ていたんだと感動を新たにするという体である。つまり、学問を仕事にするのは容易いことでない。

私は趣味で数理科学を10年、実質では20年余り、研究してきた。補助金などいただいたことはなく、成果を論文誌に投稿したこともない。自分でウェブサイトを作って公開したまでだ。幸か不幸か、そのウェブサイトに読者がつき、成果が有効に活用され始めてから、私は責任を負って研究に邁進した。文献を自前で購入し、サーバ費用も自腹で契約している。私の功績は、そのくらい活用しやすい形で提供したということでもある。私の説明の仕方で世間に流布した文句もいくつかある。

とどのつまり、大学にいられなくても、学問ができるのだ。さらに、新知見を見つけたり、そうしようと思わなくても、学問することが十分できるのである。むしろ、市民として学問することは生活する上での役目でさえある。と言ったところで、すでに会社で趣味で学問が身近な人がこの部録の読者の大半であろうと思うから、言葉を増さないことにしたい。趣味で新知見を見出した珍しい例として、私を認知している方が読者の大半であろう。今は電子で国富論の第1章を緩やかに読んでいる私である。

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