韓国#1

キリスト教をわかりもしない人が、どうして哲学を論じる気になるのだろう?そんな著作家が多いこの日本である。キリスト教についての言及を見ると、その人がどんな人となりか、よくわかってしまうのは面白い。大概、一冊で済む。一冊で終わった作家が数えるほどいる。私はそれ以上読みません、どうでも良い理屈だからです、理屈家さんさようならーー

さて、聖書から理屈を借りてきた著作家が、今あまりにいない。ルターもジョンロックもキルケゴールも、聖書にある論理から論じたのに、今は古典からも借りない論述家ばかり。勝手な理屈が出版界を席巻している。SNSが身勝手になっていることを、著作家たちは反省もしない。自由に論じられると思うな。人間の好き勝手に社会を作れると思うな。そんなことを言える作家も少なくなった。

ヘイトや右翼は典型である。どうして移民を拒む理由が、自分の限界を見ない理屈なのか。笑止千万。愛を知らない人が、愛せない人の理屈を支持して自分を宥めるだけの構造が見える。日本人とはこんなにも愛を知らない民だったのだ。キリスト教への理解がまるでなっていない。韓国の皆々様には、このことをよく知ってもらいたい。日本はキリスト教後進国なのである。

日本の停滞と知識人の逗留は底を通じている。何も進められることを考えてこなかった。サブカルチャーコンテンツも同種頒製である。もうそろそろつまらない真似をやめて、愛を知るべきではないのか。すなわち、自分を捨て、迫害する者をも祈る愛。仲間のために大事なものをも渡してしまう愛。自由がないと言う。欲と自由を混在しているからである。韓国の方が圧倒的にまともだ。日本人は長らく時間消費の欲に絡め取られている。どうにかしてほしい、各自で。

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