日本#1

近現代とは、キリスト教のための時代であり、というのもその始源からして聖書の論理を社会に実装したものである。ただし、聖書からそのごく一部を引き出したにすぎない。だから、近現代を更新しようと思うなら、聖書の他の部分から論理を引き出し、それを追加しなくてはならない。実際、この方法はすでに採られており、社会を多く豊かにした。

須く、キリスト者には住みよい時代であるが、そうでない者にとってはなんのために生きているのかわからないような社会であろう。神も主も見えないのだから。それで神格化したものを求めようとしがちになる。それらは偶像であるから、それらは邪教である。そこで求めがちだったものが、資産であった。

富が三十年あまり盛り上がらなかったと言われる日本のこの三十年である。なんのために働いているかさえわからなくなっており、深刻にならないのは、日本の人は学ぶからである。特に動画コンテンツは、無料であることも相俟って多く視聴され、また、買った物を捨てず手入れしてずっと使う文化も普通になった。物が売れない。

この近現代を良く生きる方法は、一つしかない。キリスト教信仰を持つことだ。全てそこから始まる。だが、信仰を持つに至らない人がほとんどなのだ。であれば、日本人がより豊かに生活できるための論理を聖書から見つけてやろう。それが義理温情というものであろうか。これなら私にもできる気がする。

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です