#14

洋服を買わないことにしている。私は洋服は好きで、今も手で触れにお店まで見に行っている。簡単にかっこよくなれるのがわかっている。けれども、買わない。すでに買い貯めたこともあるし、高価な洋服を着た人をかっこよいとあまり思わないためでもある。洋服の高価さで差別化するのでなく、洋服のしっくりさで個性化したいと思う。突き抜けたスタイルよりも、納得感のある服装が良いと思うのである。

街の人びとと同じような家計で暮らしていると前提すると、大きく外れ値を選ばずに済む。だから収入も高くない職場を選んで働いている。家計の規模を貧しい家庭のそれに近づけて暮らしている。それだから誰からの文句を想定せずに悠々と胸を張って街中を闊歩できる。突飛な格好で目立つ人をよく観察すると、それだけ外見に自由を費やしているのだから、それだけ内面の苦心を重視していないのだから、私とは合わない人だろう、と推論できる。

しっくりくる服装を知るには、自分を深く知って常に付き合う習慣が必要である。自分と関わることになる全ての人、出来事、もの、情報、街などと、自分が関係を作ることを重要だと見るということだ。すると、多く体験しなくても、少しで疲れられて満足する。数や量をこなすよりも多くの意味を受け取れる。だから、しっくりくる身なりを整えている人は話の意味が深い。人生を濃く楽しんでいる。知人にそんな人がいない人は、今すぐそんな人と仲良くなった方が良い。

外見にお金をかける時期は、まだ知恵が足りない。栄養と休養で英気を養い、気を惜しみ、自分の心気を整えて歩く暮らしにすれば、自然と外見は整ってくる。このことから、外見にお金をかけすぎる人は、消費の欲に絡め取られた無知な人だと私は見ている。そもそも外見が重要な仕事など、人間性に価値が払われない大変な仕事であると思う。そういうこともあり、私は洋服とは訣別し、綿百の安価で長く持つ服を組み合わせて着まわしていて無理も問題も何ら起こらない。

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