#29

私はここに、生活が安定しない人たちのために書いてきた。私自身が十年以上生活が安定しなかった経験があるからで、多くのことを学び、試し、考えてきた。これらの活動が科学の方法に則ったものだったので、ある範囲での普遍性があると思い、書いてきた。だが、私自身の生活が安定してしまった。だから、これ以上書くことは安定した生活以降の事柄になるから、当初の目的から逸れたことを書くしかなくなった。それで、この部録は役目を終えようと考えるようになった。

街を歩いていても景気が良い。恋人や家族で買い物や食べ歩きを楽しんでいる姿をしばしば見かける。過去最高の売上げを記録した企業や地域の話も聞く。株価も下がる予想がない。経済の問題が解決したように思える。この5年でそれが確たるものになれば本物の解決だが、そうなるほかないように思える。つまり、生活は簡単になると想像できる。これからますますそうであろう。

具体的には、安価なもので生活を済ませたい人には、安価なものの流通が保存されるために、物価が高騰しているとはいっても、政府が政策をかけるにしても、安価なもので十分なジャンルの品物については、その価格で回り続ける。一方で、たまの贅沢として庶民にも需要があることだが、高価な商品においては天井なしにサービスの質が向上し、新しい暮らしが現れ続ける。例えば、日常生活で満足する人には地上の、新生活を希望する人には上空や海上や海底での生活を可能にするファシリティが開発販売されよう。人間の居住域の拡大ともいえる。

これからますます、生活は困難なく簡単になり、望むところに応じて経済面からいっても可能になっていくと思われる。生活が自由になれば、慣習や制度への感覚や認識も適用が変わるので、例えば夫婦の形や親子の形態など、柔軟に変わっていくだろう。言葉の意味や使い方、情報源との向き合い方や活用術、食事睡眠運動という生理学的不変性への重要度の増進も、変化を増し、認識を深めていくだろう。つまり、私たちは、より生活を愛し、可能にし、多様に散らばっては集まって拡大していくのだ。

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