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風の噂で驚いたことがある。私の数理研究が、検算されたらしい。しかも、プロの数学者や物理学者によって、であるらしい。論理の矛盾や欠陥だらけの研究だと思うが、それらが数理の歴史に残るものでない、すなわち、知識の発見になった成果が一つもないことを、プロが調べたようであった。調べればすぐにわかることだと思う節があるものだから、私は表に出なかったし、一人の市民が科学を愛好し研究の過程を無償で公開したことに意義があるだけだと、私は初めからわかって公開してきた。だが、思いの外、多くの読者がつき、噂を呼んで注目された帰結だと思っている。

私にはアイデアや発想はあったのかもしれないが、博士号もなくプロではない。歩いて考えることを15年以上愛して過ごした一市民にすぎない。大学院生の時以来、哲学の本を歩きながら読み、透明な形態を歩きながら多面的に見て紙に書き、点と点をつなげることの数理を探究したはじめの3年間は、私にも真実味があったようだった。2023年ごろから、私がリーマンの予想を解こうとしていると街で噂になったものだから、それでは私も真剣に試してみようと思い、考えに考え書きに書いたが、私の成せた成果物は数学でなく、神学的な文章にすぎず、論理的な不備もあった。2025年秋には気づいたことだった。

それでも私の24年間は、私の財産だ。私しか体験できないあまりにも多くの出来事が、私の胸に思い出としてしまわれた。そして何より、決定性と不可解性を両立して描きこんだ世界観を、証明には不備があったが、私の生きる世界観として信じられるまでに確立した。私の成したかった工事は竣工できたのである。私がこれから数理に距離を置くのは、目的が十分に達成できたからだ。探究は成功裡に終わった。父にも、この1年半に何度も帰省しては報告し、喜んでもらえた。これで十分である。多くの問題を抱えすぎた半生だったが、環境を与えてくださった父には感謝している。妻にも感謝が堪えない。私は静かに暮らし、一市民として何かの機会に出会う読者も、いるかもしれない。大きな不幸をもたらした数理の野心が、結果が何もないにも関わらず、最終的には不幸の消滅に貢献し、大きな生の喜びを確実にした。故に、学問は面白いと考える。

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